早く人生を終わらせたい
どうやったらさっさと人生終えられるんでしょう。
誰か知ってたら教えてください。
早く人生終わらないかなあって、ずっと思っている。いつからだろう。そう思ってないときもあったような気がするけど、今まで生きてきた人生の大半は思っていたような気もする。
早くおばあちゃんになりたい。ワープしたい。
■しにたい小学生時代
「しにたい」が漠然とではなく、自殺願望みたいになっていたときもあった。小学生の頃からすでに死にたかった。妄想で遺書なんかも考えてたと思う。別にいじめにあっていたわけではない、勉強ができなかったわけでもない。ただ人とのコミュニケーションが苦手で、友達をつくるのも苦手で、学校に通うのが苦しかった。今思うと、たかだか10歳程度の子どもが死にたいと思ってしまうなんて、ずいぶん自分に苦しい思いをさせたなあと思う。今も生きづらいけど、あの頃よりはよっぽど楽になっている。
死にたいけど「自殺はやめよう」と思ったのはその小学生のころ。学校は嫌だったけど、当時の担任の先生は好きだった。その先生がいるだけでだいぶ救われていたと思う。その先生がふと、どんな文脈だったか「首吊りは後処理が大変」というような話をしたことがあった。別に自殺をするなとか啓蒙の話じゃなかったと思う。どちらかというと雑学的な意味合いで。私はああそうかと思った。小学生ながらにどんな死に方が一番楽かなんて考えてたけど、自殺の後処理で家族やみんなに迷惑をかけるのは嫌だなと。
それ以来、実際に自殺を実行したいという思いは今のところない。でも「しにたい」という思いは今でもある。早く人生が終わってほしい。
■どうしたら人生早く終わるのか
もう充分、幸せは味わった。
人生もうやりきった。
ちっちゃなことで悩んでしまう自分が面倒くさい。
すべての人間関係が面倒くさい。
早く終わらせたい理由はそんなところか。あらゆる面倒から逃げたいんだと思う。人生って面倒くさいから。自殺願望はないと言いつつ、どうやったら楽に死ねるかは今でも考えてしまう(それが自殺願望なのか)。
これをしたら早死にするよ!みたいなのを片っ端から試してみようかとも思ったり。タバコを吸うとか、睡眠時間を削るとか、ジャンクなもの食べまくるとか?それはそれで今度まとめてみようかな。
でも、そういう病気とか死とかの不安煽りもくだらないなあと思ってしまう。大好きなタバコを吸いながら長生きする人だっているのだ。健康に食事に気を使いながら病気になる人だっているのだ。
結局、終わらせる方法を見つけられてないから今も生きているわけだけど。そんなだから、もし病気とか事故にあったときの延命なんて絶対してほしくないと思う。潔く死なせてくれ。歳をとってからもそうだ。寝たきりになってなお、必死になって長生きさせる意味が分からない。長生きすることだけがいいことではないよ。安楽死を誰でも選べるようになったら、いろんなことが解決していくんじゃないかなあ。人類が減ってもいいよ。少数精鋭でいこうよ。
このしにたい気持ちの解決策を見出せず、なんとかいろんなことで紛らわせながら生きている。もう余生みたいな気分でいるので何もせずだらだら過ごしていきたいんだけど、皮肉なことに時間に余裕があるほど私の思考はネガティブに向かう。だからそのネガティブを遠ざける方法は、結局、忙しくすることなんじゃないかとなっている。うーむ。まあ、忙しくパタパタと物事をこなす自分も嫌いではないしな。そうやって「生き急ぐ」ことが今のところ一番、死に近くなる方法なのかもしれない。
誰か知ってたら教えてください。
早く人生終わらないかなあって、ずっと思っている。いつからだろう。そう思ってないときもあったような気がするけど、今まで生きてきた人生の大半は思っていたような気もする。
早くおばあちゃんになりたい。ワープしたい。
■しにたい小学生時代
「しにたい」が漠然とではなく、自殺願望みたいになっていたときもあった。小学生の頃からすでに死にたかった。妄想で遺書なんかも考えてたと思う。別にいじめにあっていたわけではない、勉強ができなかったわけでもない。ただ人とのコミュニケーションが苦手で、友達をつくるのも苦手で、学校に通うのが苦しかった。今思うと、たかだか10歳程度の子どもが死にたいと思ってしまうなんて、ずいぶん自分に苦しい思いをさせたなあと思う。今も生きづらいけど、あの頃よりはよっぽど楽になっている。
死にたいけど「自殺はやめよう」と思ったのはその小学生のころ。学校は嫌だったけど、当時の担任の先生は好きだった。その先生がいるだけでだいぶ救われていたと思う。その先生がふと、どんな文脈だったか「首吊りは後処理が大変」というような話をしたことがあった。別に自殺をするなとか啓蒙の話じゃなかったと思う。どちらかというと雑学的な意味合いで。私はああそうかと思った。小学生ながらにどんな死に方が一番楽かなんて考えてたけど、自殺の後処理で家族やみんなに迷惑をかけるのは嫌だなと。
それ以来、実際に自殺を実行したいという思いは今のところない。でも「しにたい」という思いは今でもある。早く人生が終わってほしい。
■どうしたら人生早く終わるのか
もう充分、幸せは味わった。
人生もうやりきった。
ちっちゃなことで悩んでしまう自分が面倒くさい。
すべての人間関係が面倒くさい。
早く終わらせたい理由はそんなところか。あらゆる面倒から逃げたいんだと思う。人生って面倒くさいから。自殺願望はないと言いつつ、どうやったら楽に死ねるかは今でも考えてしまう(それが自殺願望なのか)。
これをしたら早死にするよ!みたいなのを片っ端から試してみようかとも思ったり。タバコを吸うとか、睡眠時間を削るとか、ジャンクなもの食べまくるとか?それはそれで今度まとめてみようかな。
でも、そういう病気とか死とかの不安煽りもくだらないなあと思ってしまう。大好きなタバコを吸いながら長生きする人だっているのだ。健康に食事に気を使いながら病気になる人だっているのだ。
結局、終わらせる方法を見つけられてないから今も生きているわけだけど。そんなだから、もし病気とか事故にあったときの延命なんて絶対してほしくないと思う。潔く死なせてくれ。歳をとってからもそうだ。寝たきりになってなお、必死になって長生きさせる意味が分からない。長生きすることだけがいいことではないよ。安楽死を誰でも選べるようになったら、いろんなことが解決していくんじゃないかなあ。人類が減ってもいいよ。少数精鋭でいこうよ。
このしにたい気持ちの解決策を見出せず、なんとかいろんなことで紛らわせながら生きている。もう余生みたいな気分でいるので何もせずだらだら過ごしていきたいんだけど、皮肉なことに時間に余裕があるほど私の思考はネガティブに向かう。だからそのネガティブを遠ざける方法は、結局、忙しくすることなんじゃないかとなっている。うーむ。まあ、忙しくパタパタと物事をこなす自分も嫌いではないしな。そうやって「生き急ぐ」ことが今のところ一番、死に近くなる方法なのかもしれない。